文章:ニコラス・デレンゾ | 写真:デージャ・ファラス | Hemispheres、2018年2月

ハワイ島が『ビッグアイランド』と呼ばれるのには理由があります。
面積は4,028平方マイル。ほかの7つの島すべてを合わせた面積の2倍以上の大きさで、熱帯雨林や黒砂の海岸、不毛の砂漠、さらには雪に覆われた火山からなる多様な地形で成り立っています。
ハワイ諸島はもちろん、米国の島の中でも最大の島であるだけでなく、地質学的に見ても最も若い島です。

例えるなら、成長も変化も著しくその若さを誇示している生意気なティーンエージャーみたいなもの。噴火も数千年に一度といったペースではなく、今も溶岩が閃光を放って勢いよくあふれ出しています。気性が激しく気まぐれな『火の女神ペレ』が住んでいる島と考えれば、それは当然かもしれません。

1日目

「ここでペレに祈りを捧げましょう」
まだ陽が昇る前のマッケンジー州立公園。ハワイ島東岸にある、静かな溶岩石の崖にふちどられたアイアンウッドが生い茂る公園です。一緒にいるのは宿泊先のゲストハウス『キプカ』のオーナー、マーク・フロストさんと彼の愛犬コズモ。そして彼の友人のカナニ・アトンさん。
森に足を踏み入れる前に、アトンさんは立ち止まって古い物語の一節を唱えました。
「祈りをささげると、すべてがうまくいくんです」

柔らかい松葉の上を歩きながら、アトンさんは薬効のある果実、レイに織り込むシダ、伝説上の小人族・メネフネが住んでいたと言われる溶岩の窪みなどを指し示しながら教えてくれます。島の他のエリア同様にこのエリアでも、溶岩は土地の姿を絶え間なく変え続ける危険な存在。それと同時に、観光業にとっては大きな恵みでもあるのです。
「『それを作れば、彼らは必ず来る』っていう言葉、聞いたことありますか?」
アトンさんはそう言った後に、こう続けます。
「つまり、ペレが噴火を起こし続けているから大勢の観光客が来てくれるんです!」

私たちは1時間ほど散策してから、人里離れた場所にあるゲストハウスに戻りました。
350種類 5,000本以上のヤシが生い茂る庭に、電気の通っていない4棟の竹の家が建っています。
フロストさんがカウで採れた豆でコーヒーを淹れてくれました。ハワイ島南部で栽培されているカウコーヒーは、最近とても注目されています。コーヒーで元気が出た私たちは、海岸沿いのドライブに出発しました。

この島には2つの顔があります。1つは私たちの旅の始点でもある風上側のヒロ地区。
雨や霧が多く、豊かな熱帯雨林と壮大な滝に恵まれています。風下側のコナ地区は、白砂のビーチに太陽が降り注ぐ大きなリゾートエリアです。
車を1時間ほど走らせるとヒロに到着。人口約5万人の島で一番大きな街で、年間降雨量約5000ミリというアメリカの中でも雨のとても多い街のひとつでもあります。その昔、砂糖産業の中心地だったこの街はワイルド・ウェストの景気にわく西部の町、あるいは熱帯版ツイン・ピークスのような雰囲気があります。

ポケを求めて立ち寄ったのは、創業110年の『スイサン・フィッシュ・マーケット』。ポケは鮮魚を調味料に漬け込んだハワイのローカルフードですが、アメリカ本土でも一大ブームになっています。
私が注文したのは、マカジキ・サーモン・アヒ・ハマチに旨味たっぷりのふりかけを振ったミックスボウル。
もちろん、『ウィルソンズ・バイ・ザ・ベイ』のかき氷は別腹です。愛想のいい女性店員が、紙のコーンにバニラアイスクリームを詰め、その上にビンテージの製造機で削りたてのソフトボール大のかき氷をのせます。さらにトッピングとしてココナッツ・リリコイ(パッションフルーツ)・リヒムイ(プラムの塩漬け)のシロップをかけてくれました。
店の外に出たところで、知らないおじいさんの「気を付けて」という心配もむなしく、自分の腕に垂れたシロップをなめる羽目になりました。

次はブルー・ハワイアン・ヘリコプターズで、島を違う視点から探索です。
ヒロの小さな空港にチェックインすると、はかりに乗るよう指示されました。まるで荷物のようですが、機体のバランスをとるためには重要です(かき氷を食べてきたことを少し後悔)。
ヘリコプターは、エンヤや『ジュラシック・パーク』のテーマをサウンドトラックに、トンボのように自由に空を飛び回ります。
まずは北上してハマクア・コースト、絶壁を滑り落ちる滝、緑豊かな渓谷を巡り、今度は南下して、碁盤の目のようにきれいに並んだマカデミアの木の上を飛んでいきます。
次第に現れる溶岩大地。上空を進み続けると、地面は次第に色を失い、やがて黒の大地へと変わっていきます。
私たちは機窓から周りの景色に目を凝らす子供のように、新しい溶岩の吹き出し口がないか探していました。溶岩流の動きはゆっくりですが、侮ることはできません。カラパナ村が溶岩流にのみ込まれてから、まだ30年も経っていないのです。溶岩流は何もかもを焼き尽くしながら流れ下り、村があった場所は今、何エーカーもの溶岩荒野となっています。
グランド・フィナーレはカモクナの海岸。高温で真っ赤な溶岩が海になだれ落ち、もうもうと水蒸気を立てています。ボート、さらには徒歩や自転車で接近しようとする観光客もいますが、私は安全な距離を保てるヘリで十分です。なにしろ2016年の大晦日には、フットボール場17個分の溶岩デルタが太平洋に崩落しているのですから。

ヒロに戻ると、『シグ・ゼーン・デザインズ』に立ち寄りました。高級アロハシャツを見ながら、私立探偵マグナムみたいな口ひげを生やしたらどんな感じかなと想像しておかしくなりました。
夕食は『ムーン・アンド・タートル』。ヒロ出身のシェフ、マーク・ポマスキ氏と奥さんのソニさんの情熱が注ぎ込まれたレストランです。ポマスキ氏はニューヨークの『ノブ57』で寿司シェフを務めたこともあります。
「ギャップのある組み合わせが大好きなんです。素朴なソウルフードを高級感あるものに仕上げたり、逆にアバンギャルドな一品を親しみやすいものにしたり」と語るポマスキ氏。
私が注文したのは、牛肉たたきのタプナード添え(沿岸で採れたマッシュルームを使用)と肉厚のハップップ(マハタ)炒めにポン酢とガーリックバターをそえたもの。ハイライトは、カンパチをキアヴェ(ハワイ産メスキート)でスモークして、エキストラバージンオリーブオイルとチリペッパーウォーター、しょう油で味を付けた一品です。
「チリペッパーウォーターとしょう油は伝統的な調味料。ハワイでは塩とコショウのように使います。このお皿には、私の子供時代と大人時代が乗っているようなものです」


締めくくりのデザートは、近くの『パパア・パラオア・ベーカリー』のカスタード・リリコイパイ。そして、車で1時間のゲストハウスへの帰路につきました。道は暗く、遠くに見える溶岩流の赤い光を道しるべに車を走らせました。

ハワイの歴史を象徴するポケ

欧米文化に触れる前の数世紀、ハワイでは鮮魚の切り身の味付けに海塩、リム(食べられる藻)、ローストしたククイの実を使っていました。
どれも今でも島のマーケットで売っているものばかりです。18世紀終わりまでには鮮魚の一番人気はアヒとなり、ポケ(ハワイ語で「繊維に逆らって切る」という意味)は変わりゆくハワイを象徴する料理となりました。欧米人が玉ねぎと唐辛子を、アジア人労働者がしょう油とごま油を加えることでポケは進化してきました。さらに、21世紀のアメリカ本土ではさらに斬新なスタイルも広がっていますが、不要なアレンジなのは否めません。

コナコーヒーの魅力を満喫

コナにはコーヒー栽培にとって理想的な条件がそろっており、コナコーヒーは世界でも高く評価され、そのバラエティも豊富です。日本の一流飲料品メーカーUCCが運営する『UCCハワイ・コナコーヒー・エステート』では、農園見学ツアーと自分だけのオリジナルコーヒーが作れる焙煎体験ツアーを行っています。さらに、自分の写真入りパッケージを作ることができます。

2日目

私の体内時計はまだ本土時間のままでしたが、それはかえってラッキーでした。ハワイで最も感動的な体験ができるのは夜明け前だからです。
そのひとつがハワイ火山国立公園。今朝は窓の外から聞こえるコキーコヤスガエルの大合唱で目を覚まし、ゲストハウスから車を西に1時間走らせてやってきました。

ハワイ火山国立公園には、地球上で最も大きい盾状火山のマウナ・ロア山と、最も活発なキラウエア山があります。まだ真っ暗なビジターセンターの駐車場で待ち合わせたのは、ツアーズ・バイ・ローカルズのガイド、スコット・ヴィガーズさん。
まずは、ハレマウマウ火口を見渡せるポイントへ向かいました。火口では、溶岩湖が赤い炎をゆらゆらとちらつかせ、小さな間欠泉が溶岩を吐き出しています。私たちの他に観光客は5~6人だけしかいないためとても静かで、聞こえるのは溶岩が動く音だけです。
「公園に来るならこの時間がいちばんです。公園を独り占めできるようなものですから」と、ヴィガーズさんが小声で教えてくれました。

太陽が昇り始めるとトラックに乗り込み、公園の主要スポットへ出発。
サーストン溶岩洞は、流れた溶岩が固まってできた地下鉄大のトンネルです。キラウエラ・イキ展望台は火口を望む展望台で、1959年の噴火時には沸き立つ溶岩が580メートルにも達したといいます。つまり、ワン・ワールドトレードセンターより30メートルも高く上がったということです。

車を停めて、スチーム・ベントへは歩いて向かいました。これは、多孔質の岩に溜った雨水が地熱で温められ、水蒸気としてわき上がってきたもの。辺りは驚くほどひんやりとしているため、水蒸気に手をかざして暖をとりました。
「パスタを茹でているときみたいな匂いでしょ」と、楽しそうなウィガーズさん。
彼は、屈んで何かを探し始めるとしばらくしてガラスの線維をつまみ上げました。火口の溶岩が風に吹かれて細く伸び、綿あめのように回転しながら繊維状になり、公園のあらゆるところに飛んでいくらしいのです。
「これはペレの髪と呼ばれています」そう言って、ウィガーズさんはガラスの線維を地面に落としました。ドラマ『ゆかいなブレディー家』のハワイ旅行の回を見た人なら、公園から何かを持ち出すと災いが起きることを知っています(連邦法違反でもあります)。

私たちはチェーン・オブ・クレーターズ・ロードに沿って歩き続けました。
道の両側には溶岩の大地が延々と広がっています。ザクザクと音を立てて溶岩大地を歩きながら、「溶岩には2種類あります」とウィガーズさんが説明してくれます。
「高温で、冷えて固まると表面が滑らかで歩きやすい"パホエホエ"」
私には焦げたブラウニーのようにしか見えません。
「もう一つは粘着性が高くて、冷えて固まるとごつごつして歩きづらい"アア"」
オレオクッキーの山をブルドーザーで踏み潰したみたいです。

再び車を走らせていると、マングースやキジが素早く道路を横切っていきます。でも、私の目当ては州の鳥『ネネ』です。1950年代初頭、カナダのガチョウの親類であるネネは約30羽にまで減り、一時は絶滅の危機に瀕しました。(ホテル『ボルケーノ・ハウス』などは昔、ネネの料理をレストランで出していたほど)
現在、特別な保護プログラムの下でその数は約2,500羽にまで回復しています。道路脇で食べ物を探している2羽のネネを見つけ、鳥オタクのやりたいことリストからやっと『ネネ』の名を消すことができました。

ウィガーズさんと別れたあとボルケーノ・ビレッジに向かい、『オヘロ・カフェ』でランチをとりました。注文したのはオノのソテー。オノはハワイ語で「おいしい」という意味で、釣りで人気のカマスサワラのことです。
ここから南西に向けては景観が変わり、カウ砂漠が姿を現します。マヌア・ロア山の東側にあるため雨には恵まれているのですが、火山ガスが溶け込んでいるため酸性雨となり、植物が育たないのです。
そのまま海岸に沿って車を走らせ、プナルウ黒砂海岸で車を停めました。打ち寄せる波の中でゴソゴソと岩についている海草を食べているアオウミガメを見ながら、しばらく波とたわむれました。
さらに15分ほど車を走らせ、アメリカ最南端のベーカリー(この辺りではすべてが"アメリカ最南端の〇〇"になります)『プルナウ・ベイクショップ』で、ふわふわしたタロイモのスイートブレッドやマラサダを購入しました。マラサダは19世紀にポルトガル移民が持ち込んでハワイに根付いたドーナツです。
アメリカ最南端のポイント(ここから南極まではすべて海!)を過ぎると海岸沿いに北上を開始。丘の斜面のコーヒー農場を通り過ぎます。

すぐにリゾートエリアのコナ側に到着し、『シェラトン・コナ・リゾート&スパ・アット・ケアウホウベイ』に車を着けました。マンタのアクティビティで有名なホテルです。
野生のマンタ鑑賞が始まったのは、思わぬ偶然からでした。ホテルのレストランのライトが海を照らし光を好むプランクトンを引き寄せ、そのプランクトンを目当てにお腹を空かせたマンタが大挙してやってくるようになったのです。
鑑賞では物足りない人は、マンタと泳ぐ夜のシュノーケリングツアーに挑戦できます(『フェア・ウィンド・クルーズ』催行で出発は近くの波止場から)。マンタには歯もトゲもないので人に危害を加えることはありません。でも幅14フィートもある怖いくらい大きな生き物です。
ボートのフラ・カイでポイントまでは数百メートルほど。その間、ガイドさんがマンタたちのあだ名を教えてくれました。シュガーレイ、ダースレイダー、そしてビッグバーサ。それぞれに見分ける特徴があるようです。
ポイントに着くと、ツアー客はみなシュノーケルとフィンを着けて海にドボンと飛び込み、海に浮かぶフロートのプラットフォームに並んでつかまります。足の下にもフロートを付けるので、身体全体が浮き、まるでスーパーマンが一列に並んで飛んでいるように見えます。プラットフォームには下向きのライトがついていて、植物性プランクトンを惹きつけ、またそれを目指して動物性プランクトン(極めて小さいシーモンキーのような生き物たちのこと)が集まってきます。マンタ用ビュッフェの準備完了です。

5分、10分と、通り過ぎる魚を眺めながらただ待っていると、瞑想状態になってきました。すると突然、静寂を破ってシュノーケルでくぐもった歓喜や驚きの声。おお!とかきゃー!とかいう声が一斉に上がります。皆、フォルクスワーゲン大の海の生物にさまざまな反応をしているようです。
私の身体の下の方から巨大なマンタが現れ、ゆっくりと上がってきます。そして体をひっくり返してあおむけになり、私のマスクから数センチのところをかすめながら、大きな口をバクっと開けてプランクトンを飲み込みました。私たちはマンタたちが光の中を旋回し、小さな生物を大量に食べる様子を30分ほど眺め続けていました。

揺れる波に浮かんでいるのは、かなり効果的な体幹トレーニングになるらしく、疲れ果てました。
地上に戻り、シェラトンの『レイズ・オン・ザ・ベイ』で簡単に夕食を済ませました。カルアポークの焼き餃子とヤシの新芽のサラダ、マイタイにもやっとありつけました。流れるようにベッドに直行し、窓の外で溶岩に波が打ち寄せる音を聞きながら眠りにつきました。明日はクライマックスです。

トレイル・ガイド:
ハワイ火山国立公園 広報・渉外スペシャリスト ジェシカ・フェラケインさんからのアドバイス

●「ジャガー博物館には日の出前に行くのがおすすめ。人がいなくて静かなので、溶岩湖が波打ち、岩が破裂するときに立てる音が聞こえます」

●「防寒対策も忘れずに。たとえ溶岩の近くだとしても、標高1,200メートルは想像よりずっと寒いです!」

●「キラウエア・イキ・トレイルの景色は感動的です。私が大好きなのは、噴出した溶岩流が引くたびに塊のようなものができて、それが重なって黒いサテンのベッドシーツのようになっている場所」

3日目

ハワイの休日のイメージは日光浴やティキドリンクですが、私の場合は違いました。午前1時45分に暗闇の中で着替えているのだから、当然です。
マウナ・ケアの山頂から日の出を見るツアーに参加するため、ハワイ・フォレスト&トレイルが間もなく迎えにくることになっていました。マウナ・ケアは真夏でも積雪があるほど標高の高い休火山です。標高4,207メートルのマウナ・ケアはハワイ最高峰の山。海洋底から測るとおよそ9,750メートルで世界最高峰の山となります。(エベレストは海抜8,848メートルですが、台地の上に立っています。そのため多くのハワイ人が、まるでチームメートの肩の上に座ったバスケットボール選手の伸長を測るみたいだと思っています)

今日のツアーガイドは元気なキム・ニコラスさん。標高2,800メートルの地点でツアー客は一度バンから降ろされます。山頂はそこにいるだけで身体がダメージを受けてしまう高さなので、少しずつ高度に体を慣らすためです。
下界の明かりが届かないで場所で、星が驚くほどの明るさで輝いています。パーカーのチャックを閉め、オリオンやプレアデス、銀河系の星雲、火星の赤い点を見上げます。人工衛星や流れ星も時折見られます。金星(明けの明星)が地平線上に現れると、私たちは再びギュウギュウのバンに乗り込み、山頂を目指しました。

でこぼこ道を登るバンの中で少しウトウトしていると、山頂に到着。四方八方に巨大な天文台が並んでいます。皆、ご来光を眺めようとバンを飛び降りました。足元に広がる雲海と真っ黒な夜空に、下側が少し溶けたひと匙のオレンジシャーベットのような太陽が現れます。
ニコラスがあまり無理しないようにと、皆に注意しました。ここは酸素が薄いので、這うようにゆっくり動いていない限り息が苦しくなります。
「皆さんの身体は酸素を大事な臓器に振り分けているんです。『マイタイを2杯飲んだ時の感覚』と私たちは言っています」つまり、足や目や口は後回しということ。
質問しようとしましたがモゴモゴと言葉にならず、ニコラスに「ほらね!」と言われてしまいました。でも、朦朧としているのは酸素不足のせいなのか、それともカフェイン不足のせいなのか、正直はっきりしませんでした。帰路の下り坂、弾むバンの中でのうたた寝は今までで最高の眠りでした。

ビーチ沿いの道を部屋に向かい歩きながら、私は打ち寄せる波に向かっては引き返すコーレア(ムナグロ)を見ていました。

カルイア・コナに戻ると、太陽の降り注ぐコナ・コハラ沿岸にレンタカーを走らせ高級ホテルの『フォーシーズンズ・リゾート・フアラライ』にチェックインしました。まだ身体は少しだるかったけれど、朝食兼ランチ兼昨日のディナーをとるために、ワイメア村に向かって北に車を走らせます。
ワイメアはハワイアン・カウボーイ『パニオロ』の地です。パニオロは、1800年代にカリフォルニアやメキシコから牛の管理ためにやってきました。(パニオロはスペイン語のハンカチ「pañuelo」のこと、あるいは「español」が変化したものと言われています)
素朴なショッピングモール内のお店『ビレッジ・バーガー』に立ち寄りハンバーガーを注文。パティはレアを選び、トッピングはスイスチーズとトマト・マーマレード、そしてあめ色玉ねぎをオーダーしました。これぞパーフェクト・バーガー。

牛の牧草地をジグザグに走る絵のように美しいルート、コハラ・マウンテン・ロードをさらに北上します。道路沿いにそびえ立つハワイ王国の建国者・カメハメハ大王像を過ぎた頃、ポロル渓谷を見渡せる駐車場で車を止めました。
ココナッツ売りの男性がツーリスト相手に、自分の仕事場から見える景色は全米一だと自慢しています。反論の余地もありません。彼のお店は、ヤシの木で覆われた渓谷と断崖を見下ろし、それが緑のカーテンのようにどこまでも広がっているのです。
「谷底はさらに美しい」と聞いていた私はココナッツを1つ掴み、滑りやすいジグザグの坂に果敢に挑みました。そして、人気のない黒砂のビーチにたどり着くと、横になり押しては返す波の音に身体を預け、癒しのひと時を過ごしました。

フォーシーズンズに戻ると、さらなる癒しが待ち受けていました。豪華なプールの数々です。
プールサイド・バーでカクテルを楽しめるパームグローブプール。水と戯れることのできるオーシャンプール(溶岩の防波堤で波から守られています)。そして、シュノーケリングが楽しめるキングスポンド(マダラトビエイをはじめとする4,000匹もの熱帯魚が暮らしている容積180万ガロンの海水プールです)。
夜は、ホテルのシックなレストラン『ウル・オーシャン・グリル+寿司ラウンジ』のカウンター席で、エグゼクティブシェフのトマ・ベレック氏とご一緒しました。ベレック氏はフランス・ブルターニュ地方の海岸部で生まれ育ったとのこと。ハワイとブルターニュは距離的には離れているものの、精神的には近いものを感じるとベレック氏は言います。
「私は歩き方を覚える前に、すでに牡蠣の食べ方をマスターしていました。ハワイでもあらゆることが海と関連しています。だから、まるで故郷にいるような気持ちになるんです」
レストランでは地元の食材に徹底的にこだわっています。
「牡蠣も自分たちで育てています。ゴルフコースの15番ホールの池が養殖場です」
そんなディナーの始めは、バターの効いたモロカイ・スイートポテト・ブレッドとウルのホムス。ウルはパンノキのことで、古代ポリネシア人によってハワイに持ち込まれた、いわゆる『カヌープラント』と呼ばれる主要産物の一種です。
続いて、繊細な味付けの刺身や寿司など、新鮮な魚介料理の数々。軽く火を入れたカンパチはトリュフ入りポン酢で。地元で獲れたアワビは出汁で茹で、辛子味噌のアイヨリを添えて貝の器でいただきます(オイスター・ロックフェラーのように)。
極めつけは伝統的なロコモコにひねりを加えた一品。普通のロコモコは、白飯の上にハンバーグ、グレイビーソース、目玉焼きを載せたものが基本。ここでは、酢飯の上にマグロのタルタル、ウズラの卵、イカ墨のチュイールを載せ、甘い蒲焼ソースを合わせています。それぞれの料理と相性の良いお酒を堪能したあと、もう1週間も寝ていないように感じるほど疲れきっていた私は、客室の心地よいベッドに直行しました。

ビーチ沿いの道を客室に向かい歩いていると、打ち寄せる波に向かっては引き返すコーレア(ムナグロ)が目に入ります。このちっぽけに見える小さな鳥たちは、実はハワイ諸島発見の一端を担っているのです。
1,000年ほど前、ポリネシア人たちはこの渡り鳥が行き来するのを見て、そのコースを記録し、太平洋全体の地図を作りました。そしてアウトリガーカヌーに乗り、星座に導かれながらハワイの海岸にたどり着いたのです。繁殖地である北極から毎年4,820キロもの距離を移動しているこの鳥たちほど、また古代の航海者たちほど、私はナビゲーション能力に優れていないかもしれません。
でも、明らかに分かっていることがあります。それは、ハワイの引力は強力で、私もすぐその軌道に引き戻されるということです。

*今回宿泊したホテル

キプカ

島の東端のカポホは、人里離れた場所が大好きな人にとっては天国です。5,000本もの希少かつエキゾチックなヤシの木が生い茂る土地に、マーク・フロスト氏の耐久性に優れた竹製のゲストハウスが4棟たたずんでいます。ハンモックや海水プールはありませんが、たくさんの潮だまりと地熱で温められた池が皆さんをお待ちしています。

シェラトン・コナ・リゾート&スパ・アット・ケアウホウ・ベイ

溶岩の断崖の上に建つ客室508室のホテル。フラのレッスンからウォータースライドまで、コナの大型リゾートに求められるあらゆる特典を備えています。特筆すべきは上質なインテリアデザイン。ハワイが誇るアロハシャツのデザイナー、シグ・ゼーン氏のデザインが、スタッフのユニフォーム、ファブリック、アートなどホテルの至る所にちりばめられています。

フォーシーズンズ・リゾート・フアラライ

7つのプール、ジャック・ニクラウス氏が設計を手掛けたゴルフコース、屋外の溶岩シャワーなど、魅力的なアメニティを誇るホテルです。しかし、最も素晴らしいアメニティはカウプレフカルチャーセンター。『アンクル』ことアール・カマカオナオナ・レジドールがウクレレレッスン、レイの作り方、ハワイ語のレッスンなど、さまざまなプログラムが整っています。